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更新日:2019年11月7日更新
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牧之原市の歴史

牧之原市の地形は、北部に広がる牧之原台地、変化に富んだ海岸地、河川の沖積平野などから構成されています。
牧之原台地には、縄文時代の遺跡が点在し、弥生・古墳時代の遺跡は萩間川・勝間田川・坂口谷川の駿河湾を臨む微丘地部分に沿って分布しています。特に、古墳時代の後期には横穴石室や横穴が混在して造られるようになります。この地域は、遠江国榛原郡に属し、奈良時代から中世にかけては相良郷・大江郷(現在の牧之原市大江)が相良荘に、神戸郷・勝田郷(現在の牧之原市勝田)が勝田荘に、坂口郷(現在の牧之原市坂口)・細江郷(現在の牧之原市細江)が初倉荘となり栄えました。平安時代初期に編さんされた「和名類聚抄」には榛原郡が八郡と一駅に区分されています。平安時代中期以降には笠原牧・相良牧が存在したことも知られています。
平安時代後期になると、荘園の発達に伴い、現在の相良地域には相良氏、榛原地域には勝田氏という武士団が台頭してきます。相良氏は湊を支配し海上貿易に影響力をもった豪族といわれています。勝田氏の居城である勝間田城跡(県指定文化財)は、現在は自然公園として整備され、城郭の土塁や堀切が残されており往時の姿をしのばせています。
数世紀にわたる荘園時代を経た後、戦国時代には、この地域は進出してきた今川氏・武田氏・徳川氏の戦乱の舞台となりました。
1758年(宝暦8年)、田沼意次が大名として相良藩の領地を統治しました。以後29年にわたり田沼時代が続きます。相良城築城に伴う城下の町並み・街道の整備、農工生産の商業活動の推進がなされました。なかでも、海積み出し港として江戸中期より発展した駿河湾に隣接する各港は、後期には江戸と大坂を結ぶ航路の中継地として、飛躍的に発展し栄えました。現在、市内4か所の神社に伝わる「御船神事」が当時の港の盛況ぶりを伺わせます。
明治期には、牧之原地区を中心に茶生産が広まり、経済発展の基盤となりました。
現在、牧之原市には国宝聖武天皇勅書をはじめ国指定4件、県指定22件、市指定81件の文化財があります。市指定文化財には仙台河岸・相良城二の丸のマツなど相良城をしのぶ遺構、相良城杉戸・陣太鼓などの遺品が伝えられています。
明治22年に市町村制が施行され、現在の相良地域には相良町・萩間村・菅山村・地頭方村、榛原地域には川崎町・勝間田村・坂部村の2町5村が生まれました。昭和26年には菅山村を相良町に合併し、昭和の合併(昭和30年)では相良全域が相良町、榛原全域が榛原町となりました。
平成の合併では、平成17年10月11日、両町の歩み寄りによる対等合併により牧之原市が誕生しました。

牧之原市合併の歴史